田尻江(たじり)

2003年8月3日

元治(1864~1868)の頃、二宮尊徳の高第であった富田高慶が二宮仕法によって高瀬川焼築地点に堰を構築し元治、慶応、明治(1864~1912)と続く長年月を費やして利水を計ったものであった。

高瀬川渓谷の山肌に洞門をのみで堀りました。(何百人が費やしたのだろう。)

岩壁の中段に水漏れがないようにコンクリートを運び練り上げました。

杉林の中にたつ水路改修に一命を唱えた碑の連立をみる。(先人ありがとう。)

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